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コラム 2023 / 02 / 28

グリーンスワンにご用心 ―日銀OB、脱炭素への挑戦 吉國 眞一

 

 20年位前の話になるが、日銀大阪支店勤務の半井小絵さんという女性が退職して気象予報士の資格をとり、NHKニュースの天気予報担当に抜擢され、「日銀OLから気象キャスターへの華麗な転身」として話題になった。華麗な転身という言葉が示すように、当時日本銀行と天気予報を結び付けて考える人は殆どいなかっただろう。
 昨年秋日本銀行が「気候変動対応支援オペ」を開始した時、そのことを思い起こすと共に、かくいう自分自身が日銀OBで気候変動問題に関わるようになったことに不思議な縁を感じていた。顧問を務めていた再生エネルギー関連企業が、「カーボンニュートラル推進協議会」というNPOを設立し、理事に就任していたからだ。理事会には金融、エネルギー、環境といった様々な分野の専門家が参画し、脱炭素社会の構築に向けて産官学の連携を促すというスローガンで発足した。コロナ禍での制約もあり本格的な活動はこれからであるが、この間古希を過ぎて畑違いの分野への挑戦を通じて感じたことを思うままに記してみたい。

「時間軸の悲劇」と「グリーンスワン」―中央銀行と気候変動

 中央銀行と気候変動問題の関わりでいえば日本銀行の「転身」はむしろ遅い方であった。先鞭をつけたのがインフレ目標や、金融監督部門の再編などで常にパイオニア的立場にあった英蘭銀行(BOE)で、かつ同行初の外国人(カナダ人)総裁マーク・カーニー氏だ。カーニー総裁は2015年に、経済学における「共有地の悲劇」になぞらえて「ホライゾン(時間軸)の悲劇」という造語で、気候変動という世代を超える時間軸を持った課題が、将来の世代につけを回す形に終わる懸念を訴えた。この歴史的な講演が炭素排出企業の情報開示のためのタスクフォース(TCFD)の設立に繋がり、本年の東証の市場再編でTCFD基準の採用がプライム企業の上場条件になるなど、21世紀のコーポレートガバナンスの重要な柱になったのである。カーニー氏は総裁退任後、国連の気候変動問題担当特使になった。こうしてみると半井さんの転身はまさしく時代を先取りしたものであったことになる。
 2020年初には、日銀と縁の深い国際機関BIS(国際決済銀行)が、金融と気候変動の関係を論じた「グリーンスワン」というペーパーを公表し話題になった。グリーンスワンは、起きれば甚大な結果を招く想定外の事態をあらわすブラックスワンと、天候を象徴するグリーンを掛け合わせた造語だ。BISはかつてサブプライム問題というブラックスワンをいち早く認識し、警告を発し続けたが聞き入れられず、危機を防ぐことができなかったという苦い経験をしただけに、「狼と少年」の失敗を繰り返さないという強い思いが感じられる。筆者は日銀時代ロンドン駐在参事としてBOEと頻繁に接触した後、BISに転身した経緯があるだけに両行が気候変動問題への対応を主導していることに感慨を禁じ得ない。とりわけBISのアジア太平洋代表時代に、アジアの中央銀行フォーラムEMEAPとの間で立ち上げた「アジアボンドファンド」によるグリーンボンドへの投資促進は嬉しいニュースだった。

経済(2%)と環境(2℃)の「キャッチ22」

 日銀の気候変動問題への関与をどう考えるべきか。三重野元総裁が折に触れて言及された「中央銀行の物差し」に照らしていえば、金融政策や金融監督の目標に「脱炭素」を明示的に含めるのは違和感がある。一方で協議会の他の理事などと議論するなかで感じたのは、当たり前ながら世の中には様々な「物差し」があることだった。
 金融の世界では、中央銀行が2%インフレという物差しを採用して久しい。一方気候変動問題では「産業革命以降の気温上昇を2℃以内に抑える」という物差しが唱えられてきた。いずれも達成しなければならないがそのための副作用も大きい、「キャッチ22」という英語の慣用句(どちらに転んでも物事がうまくいかない状態)を地で行くような目標である。
 最近まで2%と2℃の間にも軋轢が存在した。グローバル金融危機以降2%インフレ目標の下で、主要国の金融政策は緩和(リフレ策)が基本となってきた。一方、気温上昇2℃以内を達成するためには、マクロ政策としては成長抑制気味(デフレ政策)な運営が求められる。「経済の体温を上げる2%」と、「地球の体温を抑える2℃」のベクトルは正反対だった。「キャッチ22」を克服する鍵がエネルギーに於ける技術革新だったといえよう。出力の調整が難しい再生エネルギーの弱点を克服する蓄電池や水素変換のコストが低下すれば、経済、エネルギー、環境の「三位一体」が実現する筈だった。
 だが昨年辺りから状況は変化している。コロナとウクライナの戦争を背景に多くの国でインフレ率が上昇し、2%達成のために金融引締めが必要になってきた。そしてエネルギー危機は環境の世界に、2℃目標(最近では1.5℃に強化)達成のために原発を容認すべきかといった深刻な選択を迫っている。

優しくなければ生きていけない―人類社会のニューパラダイムと金融の将来

 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」。かつて一世を風靡した、レイモンド・チャンドラーの名言である。しかし、SDGsやESGという言葉がきれいごとでなく、国家運営や企業経営の基本的なパラダイムとなった現在は、「優しくなければ生きていけない」世界になったというべきだ。といっても「強くなければ生きていけない」はまだ「生きている」。つまり「優しいだけでは生きていけない」のだ。
 「経済、環境、エネルギーの三位一体」で環境の占める位置が大きくなれば、経済やエネルギーの物差しにも見直しが必要だ。そうしたなかでマネーとは何か、何であるべきかを改めて問い直す時期が来ているのではないか。折から仮想通貨(暗号資産)をめぐる議論のなかで、「おカネに色はない」(money is fungible)という金融関係者にとっては自明の前提が、ブロックチェーンを活用したNFT(non fungible token)という技術革新などによって覆されつつある。おカネに色をつけることで、金融取引に「脱炭素」や「賄賂の防止」といった環境面からのチェックを働かせるという構想が国際機関などで議論されているという。時間軸の悲劇を乗り越えるためには、マルクスやケインズのような世界史的頭脳の出現を待たなければならないのかもしれない。
 凡才の著者も、微力ながら「優しい社会」実現のために何かできることはないかと模索している。カーボン・ニュートラルの関連では、再生エネルギーで得た環境価値を数量化する「J-クレジット」という仕組みを活用して社会貢献を行うNPOで、例えば長野県での「子どもカフェ」の活動にささやかな支援金を贈呈した。

長野県の子どもカフェの活動にJ-クレジットを活用して支援金を贈呈 (写真右:県民文化部 野中 祥子 こども若者局長)

 またカンボジアの小学校に太陽光パネルを寄贈し、定期的にお土産を持って訪ねるプロジェクトでは、現地で生徒たちの輝くような笑顔に接して魂が洗われるような感動を久しぶりに味わった。

カンボジアの小学校に寄贈した太陽光パネル

 これらの活動は期せずして筆者が属しているもうひとつのNPO「東京キワニスクラブ」の「子どもたちの未来のために」というモットーにもつながるものとなった。セミリタイヤメントの活動にシンクロニシティを見出す、また楽しからずやと感じる今日この頃である。

※2022年7月執筆
 同人誌に寄稿したものであり、転載・引用はご遠慮ください。